キチンとした排水処理

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ある日のことです。 変わった事を言う人に出会いました。
「人間は地球を使わせてもらっている立場なんだから、地球に迷惑を掛けないようにしないといけない」
それ自体はよくある自然環境保護の言葉なのですが、言葉のチョイスに引っかかりました。

使わせてもらっている立場」。 確かに。
地球にやさしく」なんていう的外れのフレーズよりよっぽど実情に即した言葉に聞こえました。
その人の仕事はなんと水商売。 いえ、本来の意味での水商売ではなく、「水を研究する仕事」という意味での水商売です。 下水処理場にお勤めの方でした。

特にその人が自分の仕事について力説していたのが、前述の人は地球を使わせてもらっている立場なんだから、綺麗に、迷惑をかけないように使った水を綺麗にしないといけない、というものです。
今、人類が毎年使い、毎年排水処理している水の量はどれだけになるでしょう。
莫大過ぎて全人類が排出している排水の量がどれほどかは不明ですが、私なんかが考えても莫大な数字である、ということだけは確かです。自然には自然浄化能力があります。
ですが、その浄化能力を超えた排水が為されているために、人は毎年毎年負の遺産を累積させているのです。
だから、一人一人が水を節約し、水を大切に使い、更に水を海に流す時にはキチンとした排水処理をしなければならないのだと、その人は言っていました。

日本の排水のうち、約七割は生活排水です。
だからこそ、庶民ひとりひとりが水を綺麗に、節約して使わなければならないのだと。
とはいえ、普段から節約に励んでいる私のような人間からすると、正直な所「これ以上何をどうするんだよ!!」、という気分でした。
洗い物をするときも水を流しっぱなしになんかしていませんし、手を洗う時も水を使うのはすすぐときだけです。
人から悪臭がするとか不潔がられることには耐えられないので、お風呂を我慢することもできませんし、個人的には地球環境より身近な人間から受ける忌避感の方が優先順位が上です。

地球環境保護を唱える言葉はもう耳飽きるほどに聞き慣れていて、私はハハーと感心しつつ、「面倒くさい人だな」と思っていました。
理屈としては正しいことを言っているのですが、近くには寄りたくないな、と思われてしまうのが、こうした地球環境を力説する人でしょう。
気の毒ですが、世間は私も含め、そういう風にできています。
でも、自然や環境を大切に思う気持ちは持ち続けたいと思っています。