昔は温泉や湯治と聞いても、あまり魅力的には感じていませんでした。
まだ若かったからだと思いますが、お風呂のなにが良いんだろうとか、
なんで一々お風呂に行くんだろうとか、自宅のお風呂で十分じゃないか
という感覚を持っていました。しかし年を重ねて湯治についての知識が
少しづつ増えていくごとに、認識が少しづつ変わりはじめました。まず、
入湯することで病気の治療にもなると知ったことが、魅力的に感じ取れ始めた
理由となります。まだ若いころは体の痛みなどはなかったのですが、
30代を迎えてから関節や神経などに、痛みを感じる機会が増えてきました。
ああ年をとってしまったんだなと、なにか悔やむように思いがちですが、
そうした体の痛みを取ることのできるお湯が、日本の各地に湧いている場所が
あると知りました。それによってて、認識をガラリと変えることになりました。
そして認識を改めた理由としては、歴史上では昔から湯治が記録してあることを
知ったことも、改める契機になりました。歴史上で始めて、神が温泉に入ったと
される古い記録は、おそらく少彦名命についての記録ではないかと考えられます。
愛媛県について記した古文献「伊予国風土記逸文」に、そうした記録があって、
少彦名命はお湯に浸かって体力を回復したと伝えられています。
逸文というのは僅かに残された文書の断片のことで、「伊予国風土記」自体は、
残念なことにかなり昔の段階で消失してしまいました。その少彦名命の湯治の
舞台となっているのは、愛媛県松山市の道後温泉です。この土地は日本三古湯と
呼ばれているなど、その名の通り、そして幾つかの歴史書にある通り、
昔から湯治の場所として知られてきました。「日本書紀」では舒明天皇など、
名だたる天皇がこの場へやってきて湯に浸かりにきた記録があるなど、
日本三古湯とは名前ばかりではなく、中身を伴っていると把握できます。
これから40代になって生きていきそうな私も、そろそろ湯治を楽しんで
みようかと考えている不健康なこの頃です。